私は野沢たんぼの,おもだかである。
農家の人々にむしりとられるぐらいで人は相手にしてくれない。
白い小花も,観賞してくれる人もいない。
仲間のくわい球茎は、人々にたべられるが,私はうらやましく思う。
昭和36年の春は私共の最大の名誉の年である。
新しき野沢中学校がこのたんぼに誕生して、
私を学校の紋として校旗にき章に,バッジに採用してくれたからである。
さすがに見る人ぞ人ぞ,私は深い感謝をおぼえた。
ずっと昔,私も羽織の紋につかってくれた者もあるが、
洋服時代の今日、それも見られなくなった矢先、野中に対しては感謝の気持ちでいっぱいである。
こうなれば私は胸はって声高らかにおもだかの歌を歌おう。
どろんこ生まれのどろんこ育ち
たにし あめんぼ
どぢょっこ我が友
素朴粗野なみどりの葉っぱ
白い小花は単純清楚
むしられふまれ苦難にたえて
われ黙々といのちを生きる
雑草なれど悪草ならず
見栄 へつらいなどしられざる土根性
厳冬深く土中にひそむ小さきいのち
つよくたくましくこの地に育つ
人とその子らも
かくありたきと願いにねがう。
(おもだかの代弁者)
元校長 坪井正巳先生記
~野沢中学校生徒手帳おもだかの“代弁記”より~
昭和36年、旧野沢中学校と旧岸野中学校が統合して新校舎に移るとき、それぞれの学校から校章の新図案を募集し、入選作を専門家の手で合体させてデザイン化されたものである。
『浅間山・千曲川・豊かな水田など、佐久の大自然を象徴するイメージがテーマだった中で、「おもだか」の葉先の凜々しさベースにして、「野中」の文字を象徴化することにした。』
(野沢中30周年記念誌 丸山氏 寄稿文より)